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京都魔界めぐり・Eテレ・ほんとに最澄は貢献した?


魔物と戦う京都の防衛策!
趣味どきっ!京都・江戸 魔界めぐり
毎週火曜 午後9時30分
再放送 毎週翌週火曜 午前11時30分
総合 再放送 毎週水曜・木曜 午前10時15分
https://www4.nhk.or.jp/syumidoki/x/2019-08-20/31/6442/1460492/




趣味どきっ!京都・魔界めぐりでは、最澄が大きく貢献したとしていますが、実際はどうだったのでしょうか。
番組でもあとのほうで取り上げるかもしれませんが、私は、最澄よりも、実践としましては空海や加茂光栄や安倍晴明らが大活躍し、大きく貢献したと思います。
最澄は残念ながら、実のところ天国に還っていませんから、良いほうの効力でなく、逆に悪いほうに影響を与えてしまったのではないかと考えられますね。


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書籍・日本を救う陰陽師パワーより


陰陽師が怨霊を鎮め、朝廷政治を支えていたことが分かります。


賀茂光栄「当時、私たちは政局も左右しておりましたが、私たちが庇護を受けている者以外の政治家もいましたし、政敵もたくさんおりました。また、怨霊の存在もありました。そこで、当時は、式神と称していましたが、まあ、指導霊団を通じて、あるいは、生きている人間であれば、その守護霊なども駆使して、情報を取っていたわけです。
いちばん大きな怨霊は菅原道真の怨霊で、要するに、大宰府に左遷されて死んだあと、時の政府に、ずいぶん祟っておりました。これを調伏することが朝廷の願いであって、安倍晴明は、それを主として調伏して名を上げた方の一人ではあります」




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高野山の開創1200周年大法会 空海の「鎮護国家」の精神に思いをはせる
2015.03.21ザ・リバティ・ウェブより
https://the-liberty.com/article.php?item_id=9389


弘法大師・空海が開いたのは高野山(和歌山県高野町)。
空海は平安時代に唐へ渡り、恵果和尚から密教の正統を継ぐ地位を与えられ、教法を伝授された。このとき、現地に1000人はいた弟子たちをごぼう抜きにしての伝授だったという。帰国後は高野山を「最も禅の修行の道場にかなった地」であるとして金剛峰寺を建てた。唐から持ち帰ったお経の中には建築技術なども含まれており、ため池である満膿池の修築などでも知られている。
歴代天皇の信任の厚かった空海は、疫病が流行した時などにたびたび天皇の相談を受け、政治に関しても発言している。


宗教と政治の両方に才能があった空海。
空海の霊は、自身が密教を国教とすることによって「鎮護国家」を目指していたことや、当時の政治家が宗教家に頼り、その法力で国を守ろうとしていたことなどに触れながら、宗教と政治の本来あるべき関係について語った。
かつて空海は「すべての人を救いたい」と誓願し、政治にも助言をしていた。(居)


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ザ・リバティ・ウェブより、最澄部分のみ抜粋
親鸞、日蓮、最澄――日本仏教の「悟り」と「限界」とは?
https://the-liberty.com/article.php?item_id=5232


霊言レポート(3)『最澄の霊言』
「山を歩いて、食べ歩くのが仏教だ」と言い放つ最澄
11月23日
 平安時代に比叡山を開き、日本天台宗の開祖として、空海とも並び称されることの多い伝教大師・最澄。比叡山からは、のちに、親鸞、日蓮、道元、栄西など鎌倉仏教の祖たちも多く輩出された。だが、すでに1987年発刊の『黄金の法』(大川隆法著)の中で、現在もあの世で反省中であると記述されている。
 それを証拠づけるように、今回、初めて公開霊言で出てきた最澄の霊は、「釈迦は山ばかり歩いて、食べ歩きしていた」「心なんてものはないんだ」などと、原点である釈迦仏教を貶める言説を繰り返した。現代仏教僧の堕落の根源に、最澄の煩悩を肯定する思想や「誰でもインスタントに仏になれる」という日本天台の一乗思想に誤りがあることが、改めて確認された。

「リニアのように一気に仏になれるのが、わしの立場だ」
 最澄の霊は、自分は今、伝統仏教界の"総帥"のような立場にあると語り、住んでいる場所については、「比叡山に良く似た」ところで、「高く、厳しく、冬は寒い」と描写。そこで多くの僧侶が修行として、山を歩き、滝行、火渡り、護摩焚きなどをしていると語った。
 同時代の空海については、「あんな下賤な者」と激しく非難し、「(霊界での交流は)あるわけないだろ! 会いたかない!」と拒絶感を露わにした。
 また、徳一(法相宗の僧侶)と闘わせた「三一権実論争」(徳一の三乗思想と、最澄の一乗思想のどちらが真実かという論争)について訊かれると、「各駅停車がほんとの旅だというのが徳一で、リニアのように一気に仏になれるのが、わしの立場。わしのほうが、はるかに進んどったわけや」と自身の正当性を主張した。
 さらに驚いたことに、仏教の祖師である釈尊について最澄は、「釈尊は、年中歩いとったんだよ。歩いては休み、が生涯。一カ所にいたら食べ物がなくなるから、よそに移動しとった。それだけのこと。遊牧民と一緒だよ」「食べ歩いて、山登ったんだよ」と言い放った。仏教の派祖とも思えないほど釈尊を矮小化し、その悟りを肉体行だけに貶めていることが明らかとなった。
 釈尊が説いた心の教えについても、「君ね、心なんていうのは、迷いなんだよ。そんなものはないんだ。あると思うところが迷いのもとなんだ」「心はないと悟れば、一切は空なのよ」と、最澄は「心」そのものを否定した。

「桐山靖雄氏や瀬戸内寂聴氏を指導している」
 今、地上に生きている人を誰か指導しているかという問いに対して、最澄は「桐山のところ、近いから」「なかなか、いい護摩を焚いとるなあ」と、阿含宗の桐山靖雄管長を指導していることを明かした。
 また、「今は、瀬戸内寂聴に、大川隆法をなんとかしろ、ぶっ潰せというメッセージは送っとるんだ」と語り、天台宗の尼僧で、煩悩を題材にした官能小説を書き続けている作家の瀬戸内氏も、指導していることが明らかになった。
 今回の最澄の霊言の特徴として、慢心と嫉妬心からか、仏教者にあるまじき悪口雑言が見られ、質問者に対して「うるせえな」「バカ野郎」「アホか、おまえは」などと語気強く罵る場面が多かった。これは地獄に堕ちている霊の特徴であり、最澄自身が「修行場にいる」と言いながら、その修行場自体が地獄にあることをうかがわせた。


 最澄は、釈尊の説いた「八万四千の法門」を、「リニアのように一気に仏になれる」と極度に単純化させてしまい、「みな仏である」「人間はすでに悟った存在である」として、反省などの心を磨く「修行論」をすっ飛ばしてしまった。その結果、その後の僧侶たちは「心の修行」を捨て、"肉体行"のみにとらわれ、千日回峰行や護摩焚きなどで悟れると勘違いしている。インスタントに成仏できるという思想を広め、堕落を招いた点、最澄が日本仏教に流した「毒水」は大きいと言える。


 大川隆法総裁は、最澄の霊言の直前に法話「不成仏の原理」を行った。その中で、「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)」の「六大煩悩」が不成仏の代表的な心であると説いた。「貪」は「欲が深いこと」、「瞋」は「怒り」、「癡」とは「真理を知らない愚かさ」、「慢」は「慢心」、「疑」は「疑う心」、「悪見」とは「間違った見解」である。
 この六大煩悩に照らしてみても、最澄の霊言に表れている「慢心」や「怒り」「煩悩肯定」の考え方などから、最澄が死後1200年以上経っても「不成仏」の状態にあることがはっきりと分かった。


【注】
●一乗思想=「何人も仏になれる」という思想。「人間は仏の子である」という真実からして、可能性、希望の原理としては正しいが、「修行は不要」と解釈すると、堕落になる。最澄は、各種の仏典を研究の後、何人も仏になれるという一乗思想に到達し、「一乗主義」「悉皆成仏論」を唱えた。それがのちに、「天台本覚思想」(人間はもともと悟っているのだから、修行は要らない)という思想)となり、比叡山の腐敗、堕落を招いた。
●三乗思想=「人間には、声聞、縁覚、菩薩という三種類の性質を持った人間がいて、それぞれの修行の仕方が違う」という考え方。実際、仏教修行者には、その悟りの段階に応じた魂の境涯があるため、三乗思想のほうがより真理に近いと言える。
(参考書:『黄金の法』『悟りの挑戦(下)』